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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和57年(行コ)2号 判決

控訴人

下山勲夫

控訴人

渡辺吉也

控訴人

東本稔

控訴人

平山昇

控訴人

松崎芳樹

控訴人

山之内宜子

控訴人

村田嘉明

控訴人

中窪征紀

控訴人

前浜安男

控訴人

有川征孝

控訴人

秋岡淑文

右控訴人ら訴訟代理人弁護士

立木豊地

(ほか一六名)

被控訴人

鹿児島県教育委員会

右代表者委員長

尾辻達意

右訴訟代理人弁護士

松村仲之助

(ほか四名)

右指定代理人

唐鎌祐生

(ほか六名)

右当事者間の転任処分取消請求控訴事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

1  原判決を取消す。

2  被控訴人が昭和五四年四月一日付でなした控訴人らに対する別表1の「前任校」欄記載の小・中学校教諭を免じ、同「任命」欄記載の市・町の公立学校職員に任命し、同「現任校」欄記載の小・中学校教諭に補する旨の各転任処分をそれぞれ取消す。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文同旨

第二当事者の主張

別紙一「当事者の主張」(略)のとおり。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因一(当事者の地位)、同二(本件転任処分)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  被控訴人の主張6(訴の利益)について。

1  控訴人らが本訴において取消を求める処分は、被控訴人が地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」ともいう)四〇条に基づき、昭和五四年四月一日別表1の各前任校欄記載の小・中学校教諭を免じ、同任命欄記載の市、町の公立学校職員に任命し、同現任校欄記載の小・中学校教諭に補する旨の各転任処分であり、その処分の後に被控訴人主張のとおり一部の控訴人につき再転任処分の発令されたことは当事者間に争いがない。

2  ところで、右地教行法四〇条は、都道府県委員会は一の市町村の県費負担教職員(控訴人らがこれに当ることは当事者間に争いのない請求原因一の事実により明らかである)を免職し、引き続いて当該都道府県内の他の市町村の県費負担教職員に採用することができるとし、旧職につき免職、新職につき採用という法形式を踏んでいるため、右転任処分により前職の教職員の地位を退職によって喪失し、新任校の教職員として新たに採用されることとなるものとみられなくもないが、右は地教行法三七条一項によって県費負担教職員の任命権者を県教委とされながら、当該教職員の身分は各市町村に属することから、これを他の市町村に転任させるためには、一旦前任地市町村教職員の身分を喪失させたうえで、転任先市町村教職員の地位を得させるという法形式を踏まざるを得ないがためであり、その実質は同一任命権者の下にある当該県の公立小中学校教職員という包括的身分の範囲内での勤務場所の変動に他ならず、通常の配置転換と同一視して差支えない。

そうして、控訴人下山らに対する再度の転任処分の発令は、本訴請求の対象となっている別表1の前任校から同現任校への転任処分の存続を前提としているところ、本訴においてこれが取消されるときには、その判決の遡及効により右各前任校の教職員たる地位を回復しこれに伴い再転任処分の効力も遡及的に失われるものと解し得る(右各再転任処分によって右前地位の回復があり得なくなるものではない)から、なお本訴請求の利益は失われないものというべきである。

被控訴人の主張は採用できない。

三  本件転任処分の違法性の有無について

1  昭和五四年度人事異動全体の違法性(請求原因三1)の有無について

(一)  当事者間に争いがない請求原因一の事実により、控訴人らはいずれも県費負担教職員に該当するものと認められるところ、県費負担教職員の転任人事に関する権限を有するものは県教委であり(地教行法二三条、三七条、四〇条)、県教委は右転任人事につき自由裁量権を有するものと認められる。

右自由裁量権の限界につき考察するに、教育公務員については、教育基本法六条二項、一〇条二項等の規定により他の一般公務員より強い身分保障が定められていることから、任命権者(本件では県教委)の自由裁量権には自ら合理的限界が存するものと解するのが相当であり、当該教職員に著しく不利益を与え、また、当該教職員個人ないし同教職員が勤務する学校の計画的教育活動を過度に阻害し、あるいは、専ら当該教職員の組合活動を抑制する等非教育的目的のために行われ、しかも事前に教職員の意見希望を十分に徴し、あるいはこれを十分に徴すべき手続を経ることなく樹立された異動計画に基づき転任処分をなすことは、右裁量権の範囲を逸脱し、裁量権の濫用に該当し、転任処分そのものが違法との評価を免れないものというべきである。

しかし、教育公務員については法律上一般的に転任についての保障はなく、県費負担教職員として公の教職に従事する者は当該県内の他の市町村に転任を命ぜられることがあることもその地位に伴って当然予定されるべきことである(地教行法四〇条)から、転任処分が当該教育公務員の意に反して行われても、そのこと自体から転任処分が違法となるものではない。また、およそ公務員は、国家公務員たると地方公務員たるとを問わず国民全体への奉仕者としてその職務に専念すべきであると共にそれに対し相当の待遇を受けるべき立場にあるのであって、公務員に対するある処分が不利益であるかどうかは当該公務員としての立場自体を中心として判断すべきである。従って、控訴人らに対する本件転任処分が控訴人らにとって不利益であるかどうかも、地方公務員たる教育公務員としての地位を標準として考察すべきであって、公務員たる立場と関係のない個人的な事情をみだりに参酌すべきでないと解するのが相当である。

以下、かかる見地から控訴人ら主張の標準人事(昭和五四年度人事異動全体)の違法性の有無について検討する。

(二)  県教委と鹿教組間で昭和四九年二月二七日控訴人ら主張の各条項を内容とする合意(二・二七合意)が成立したこと、県教委が「昭和四九年標準」を定めたこと、「昭和五四年度人事異動の重点」が「昭和四九年標準」を基礎とするものであること、「昭和四九年標準」の内容が別紙二のとおりであること、本件転任処分が「昭和四九年標準」を基礎とする「昭和五四年度人事異動の重点」に基づいて発令されたことは、いずれも当事者間に争いがない。

(三)  右(二)掲記の当事者間に争いがない事実に、(証拠略)、当審における控訴人前浜、同秋岡各本人尋問の結果、並びに弁論の全趣旨によれば、以下の各事実が認められ、(証拠判断略)、他に同認定を覆すに足りる証拠はない。

(1) 鹿児島県における教育公務員人事の特殊性として挙げられるものは、へき地等指定学校数が多いことで、例えば、本件転任処分が行われた昭和五四年度では県下で小学校が二六二校(四〇数パーセント、内本校二四八校、分校一四校)、中学校が一四一校(四〇数パーセント、内本校一三九校、分校二校)を数え、全国でも北海道に続いて二位の学校数であり、へき地等指定学校に勤務する教職員数も多く、同年度では県下で小学校教職員数が二三一一名(内本校二二七六名、分校三五名)、中学校教職員数が一四四四名(内本校一四四一名、分校三名)を数え、全国でも北海道に続いて二位の教職員数であった。

このように鹿児島県下にはへき地等指定学校が多いのに、教職員においてはへき地等指定学校で勤務することは、本人並びに妻子の教育環境、生活環境が都市部に比べて劣悪化するのに比し、勤務年限、帰任の保障等の面でさしたる優遇措置もみられなかったことから、へき地等指定学校勤務を希望する者は少なく、このことは同県下における教職員の人事交流の大きな制約となった。

鹿教組においても、昭和二九年六月一日へき地教育振興法(昭和二九年法律第一四二号)が制定された前後頃から、県教委に対し「勤務年限を定め、計画的に帰任を行うこと。赴任旅費を一〇割支給すること。」等を求めて闘争を行ない、県教委においては、昭和三〇年頃以降「人事異動におけるへき地勤務経験の重視。赴任旅費一〇割支給。」等を内容とするへき地派遣制度を徐々に形づくり、昭和三六年三月前頃には、鹿教組の間で「へき地交流対象者は希望者とする。へき地在任期間二年間(準へき地三年間)。準へき地の指定。右在任期間が経過したときはその者の転任については本人の希望により優先的に考慮する。優遇策(へき地手当の大巾増額、昇給期間の短縮。へき地の教育条件、生活条件の整備、改善)。」等を内容とするへき地派遣制度を採用することを確認するに至った。

その後、右へき地派遣制度は県教委の教員に対する利益誘導、組合の団結権破壊を目的としあるいは組合活動を理由とする報復人事のために利用されていると主張する鹿教組と県教委との交渉により、昭和四五年一月右両者間で「団結権侵害をしない。前任の地区へ帰任するのを原則とする。へき地交流即任用優遇でないことの確認。抜てき交流(教諭から教頭、教頭から校長)は、計画交流としては当分の間(三~四年)、将来は現職同士の交流とするよう努力する。対等交流。計画交流の趣旨にそわない者(団結権侵害に関係する者)の排除。」等を内容とするへき地計画交流制度を採ることが確認された。

右のとおり、県教委においては多数のへき地等指定学校の存在による人事交流の停滞の打破のため、鹿教組においてはへき地等指定学校に勤務する教職員の待遇改善等のための努力が続けられたが、へき地等指定学校勤務を希望する教職員は少なく、新規採用教員をもって補充するなどしたが、次第に県公立小・中学校の人事交流は停滞しがちとなり、昭和四五年度には、同一校一〇年以上勤務者数が七五九名(全教職員数に対する割合六・〇パーセント)、同一校八年以上勤務者数が一五一二名(同一二・〇パーセント)に達し、勤務校に関する教職員間の不公平を惹起せしめ、各校殊にへき地指定校等の教職員編成上も支障を生ずるようになった。

そこで、県教委としては、右のごとき人事の停滞を打破し、教育の機会均等のための学校間の較差の解消、教職員間の勤務校及び勤務地に関する人事の公平、へき地等指定学校の教職員の適正な配置を期するため、昭和四五年度における人事異動の重点として「四地区制による人事の交流を推進する。同一校一〇年以上、同一地域一五年以上勤務者の異動を重点的に推進する。」旨を定め、以来昭和四八年度まで毎年の人事異動においてほぼ右同様の重点を定め、人事の停滞打破等に努めてきたが、なかなかその成果は上らず、昭和四八年度においては、同一校一〇年以上勤務者が一二八六名(全教員数に対する割合一〇・七パーセント)、同一校八年以上勤務者が二三六七名(同一九・六パーセント)とピークに達した。

(2) そのため、県教委においては、昭和四九年九月に別紙二記載の各項目を内容とする昭和四九年標準を定め、昭和五〇年から昭和五五年までの五ケ年計画で長期勤務者の解消を図ることとし、昭和四九年度人事異動方針の実施に伴う重点運用事項(昭和四九年度人事異動の重点)として「同一校一〇年以上又は同一市町村一五年以上勤務する永年勤務者のうちへき地勤務経験のない者はへき地に、へき地勤務経験のある者は他の学校又は他の市町村に異動させるよう本年度の人事異動の重点対策とする。ただし、五六才以上の者については実情により勘案し、五八才以上の者は異動対象としない。重点異動対象者の中から昭和四九年度の異動者を決定するに当っては、本人の健康状態、家族の状況等を比較衡量して行うこととする。等々」を定め、これにより昭和五〇年三月の人事異動を実施した。

鹿教組においても、県教委との昭和四九年標準の策定前の数次にわたる交渉の結果、同標準を機械的、画一的に運用しないこと、同標準に合致しない希望があったときにも具申、内申の段階で同希望を尊重することを相互に確認のうえ、同標準をもって人事異動計画の目安とすることに同意し、これにより県教委は同標準を策定したものである。

そのため、県教委においては、昭和四九年標準につき、昭和四九年九月一一日鹿教教第三五七号「長期人事異動の標準の送付について(通知)」をもって各市町村教育委員会委員長等に宛てて昭和四九年標準の周知を図ったが、同通知の中には「具体的な人事異動に当っては、毎年度の人事異動方針に基き学校運営上の必要、教職員の健康状況、家庭状況等を勘案して行うことになる。したがって、この標準どおり画一的に行われるものと理解してはならないものである。」旨の文言が記載されていた。

(3) 昭和四九年標準の実施により、長期勤務者の解消状況は、昭和五〇年度が「新規該当者数三六七名、該当者総数二四〇六名、解消者数六九五名、解消率二八・九パーセント、解消残数一七一一名」、昭和五一年度が「新規該当者数二八九名、該当者総数二〇〇〇名、解消者数一一一二名、解消率五五・六パーセント、解消残数八八八名」、昭和五二年度が「新規該当者数八〇一名、該当者数一六八九名、解消者数九七八名、解消率五七・九パーセント、解消残数七一一名」、昭和五三年度が「新規該当者数六二一名、該当者数一三三二名、解消者数八三一名、解消率六二・四パーセント、解消残数五〇一名」と、その効果が上がっていた。

(4)〈一〉 本件転任処分が行われた昭和五四年は昭和四九年標準による人事異動計画の最終年度に当っていた。

県教委が毎年度行う人事異動については、例年前年の一一月末頃から県教委と鹿教組間の交渉が開始されていた(本件については、県教委と高教組との関係は捨象する。)が、昭和五四年度人事異動については、県教委において鹿教組に対し昭和五三年一〇月頃から交渉を呼びかけていたにもかかわらず、鹿教組においては、同年六月段階から県教委に対して「〈1〉昭和五三年三月の人事異動の総括交渉、〈2〉管理職任用試験の廃止、〈3〉昭和四九年標準の抜本的改正」を要求していたのに、県教委が〈1〉については県教委としての総括がなされていないことを理由に交渉に応ぜず、〈2〉については全県的な視野に立つ任用上の一つの客観的資料を得るためのものであるとして試験を実施したこと、県教委は鹿教組が昭和五三年四月二五日に行った午後三時行動開始の行動に対し同年七月二〇日行動参加者全員処分を断行したこと等を理由に、右昭和五四年度人事異動の交渉に応ずることを当面拒否した。

県教委においては、さらに昭和五三年一一月二九日鹿教組に対し昭和五四年度人事異動の交渉に応ずるよう申入れたが、鹿教組においては前記〈1〉ないし〈3〉の要求項目につき県教委教育委員五名との交渉が先行しなければ右申入れに応じられない旨返答し、同年一二月一日正式に鹿教組及び高教組と右教育委員五名との団体交渉の申入れを行った。

県教委は、右申入れに対し「県教委は合議体であり非常勤の委員で構成されているので、交渉の当事者としてはなじまない。職員団体の意見はきくが、委員は意見は言えない。話し合いの機会は一回かぎりとする。この条件で日時、場所を窓口交渉でつめたい。」旨回答した。

鹿教組は、県教委の右回答につき「極めて形式的、無責任にすぎる。交渉の責任をもてないという態度は、実質的には交渉権否定である。教育委員は、相当時間と相当回数責任をもって交渉すべきである。」として、県教委の態度の是正を迫って窓口交渉を重ねたが、県教委の態度に変りはないまま一二月県議会が開始されるに至った。

〈二〉 その間県教委においては、右交渉の遅延により昭和五四年度人事異動計画の樹立を遅らせることは、時間的制約(昭和五四年三月二〇日過には異動対象者に内々示しなければならない。)によりできないとして、昭和五三年一二月七日に「〈1〉各学校における年齢構成、免許状所有者構成等の是正に努める。特に中学校の教科構成については、そのひずみの是正に努める。〈2〉標準異動年数を超えた者の異動を推進する。特に同一校七年以上、同一市町村一三年以上の長期勤務者の異動を重点的に行う。ただし、五六歳以上の者については、実情によって勘案する。また、三年以上六年未満でも異動を希望する者は配慮する。〈3〉県立養護学校新設に伴う特殊教育諸学校への異動を重点的に行う。〈4〉新規採用教員は、研修の便なども考慮して、小学校六学級以上、中学校三学級以上の学校に配置するように努める。〈5〉本県教育の将来を展望し、調和のとれた教職員構成の実現を図るため、勧奨による退職をお願いし、後進に道を開くための勧奨退職者については優遇措置を考える。」を内容とする昭和五四年度人事異動の重点を決定し、翌八日新聞紙上に公表した。

〈三〉 県教委は、昭和五三年一二月一六日、教育事務所(局)長会を開いて各教育事務所(局)長一二名に対し人事異動資料の説明等を行い、昭和五四年一月一〇日同じく教育事務所(局)長会を開いて各教育事務所(局)長一二名との間で人事異動作業に関する討議等を行い、翌一一日には第一回人事異動連絡会を開いて全市町村教育長九六名、各教育事務所(局)長一二名に対して昭和五四年度重点、人事異動事務の進め方と日程、公立小・中学校学級編成基準及び教員配置基準、養護学校新設に伴う特殊教育諸学校との交流等に関する説明や討議を行い、翌一二、一三日の両日は地区毎に該当地区の教育事務所(局)長、教育長、全校長に対する人事異動方針説明会を開いて説明を行い、その際に各学校長に対し各学校の校内人事異動説明会を同月一六日か翌一七日に開き、各教員から各校長に対する身上調査書の提出期限を同月二三日とするよう指示し、各学校長から教育長に対する身上調査書の送付期限を同月二五日とした。

各公立小・中学校では、各学校長が同月一六日あるいは翌一七日に当該校の教員に対する校内人事異動説明会を行い、人事異動について説明すると共に、転任あるいは留任希望の有無、転任する場合の希望地あるいは希望校等を記載した身上調査書を同月二三日までに各学校長宛提出するよう指示した。

〈四〉 鹿教組においては、右のとおり昭和五四年度人事異動作業が進展していくなかで、前記〈一〉掲記の三項目の各要求につき県教委教育委員五名との交渉が先行しなければ昭和五四年度人事異動の交渉には一切応じられないとの態度を崩さず、留任闘争の意思確認をし、各分会等及び所属組合員に対し、校内人事異動説明会への出席拒否及び身上調査書の提出拒否を指示すると共に各所属学校長に対し身上調査書の不提出は県教委に対する白紙委任を意味するものではない旨記載した文書を連署のうえ提出するよう指示し、各分会等においては所属組合員に校内説明会への出席拒否及び身上調査書提出拒否を遵守させ、昭和五四年一月二六日頃当該各学校長に対し鹿教組指示の右文書を連署のうえ提出した。

〈五〉 控訴人らは、いずれも、鹿教組の右指示に従い、それぞれその勤務する学校で昭和五四年一月一六日ないし翌一七日に行われた校内人事異動説明会に出席せず、その頃、各学校長から昭和五四年度人事異動資料(身上調査書用紙も含む)の配布を受け、また、各学校の学校長から朝会、職員会議あるいは掲示板への掲示等により、身上調書の提出期限は同月二三日であり、期限徒過後に身上調査書の提出があっても学校側では一切受領しない旨の通告を受けていたのに、いずれも期日までに身上調査書を提出せず、ただそれぞれ身上調査書提出期限前に各学校長に対し口頭で「留任希望」である旨表明しただけで、その理由や転任処分に当って考慮を希望する特別事情については何ら明らかにしなかった。

さらに、控訴人松崎、同前浜を除くその余の控訴人については、身上調査書提出期限後においても、控訴人渡辺、同東本は、各学校長から異動対象者であることを告げられ、異動希望先(同渡辺)あるいは特別事情の有無(同東本)を聞かれても(同渡辺は昭和五四年一月二九日、同年三月二日、同東本は同年三月五日、同月六日、同月一二日)、単に留任希望と繰返すだけでこれに全く答えず、控訴人平山、同山之内、同村田、同有川は各学校長から異動についての個別事情聴取のための呼出を受けた(同村田は同年三月一〇日、同有川は同年二月二日、同年三月二日、同月五日)が、これに全く応ぜず(同有川)、あるいは同事情聴取の場に分会代表や他の職員の立会(同平山、同山之内、同村田)や録音テープの持込み(同山之内)等を要求し、人事の機密を理由にこれを拒否する各学校長との間に意見の一致をみず、結局右事情聴取に応ぜず、控訴人中窪、同秋岡は、異動についての個別事情聴取を受けた(同中窪は同年二月四日から同月二八日、同年三月五日から同月二二日までの間それぞれ数回、同秋岡は同年二月五日、同月二六日、同年三月一二日)が、その際留任希望理由として鹿教組地区協議会議長の候補となったこと(同中窪)、特殊学級の担当を継続したいこと(同秋岡)を述べただけであった。

〈六〉 なお、鹿教組においては、昭和五四年二月一九日頃、組合員に対し身上調査書を各学校長宛提出するよう指示し、控訴人らを含む組合員らはこれに応じそれぞれ身上調査書を各学校長に提出しようとしたが、提出期限徒過を理由にその受領を拒否され、同月二二日頃には各当該市あるいは町の教育委員会に対し身上調査書を郵送したが、直ちに返送された。

〈七〉 県教組は、各学校長を通じて異動対象者に対し、昭和五三年三月二三日に内々示を、同月二八日に内示を、同年四月一日に各転任処分の発令を行い、控訴人らについても、右同様の手続を経て、別表2記載のとおり控訴人らがいずれも長期勤務者に該当することを最大の理由として本件転任処分を行った。

〈八〉 昭和五四年度人事異動により、同年度の新規該当者数九二六名、該当者数一四二七名、解消者数九二九名、解消率六五・一パーセント、解消残数四九八名となった。

(四)  そこで、右(三)で認定した各事実を前提として前記(一)の判断基準に従い昭和五四年度人事異動全体の違法性の有無について検討するに、教育の機会均等のための学校間の較差の解消、教育公務員間の勤務校及び勤務地に関する人事の公平、各学校の教職員の年齢構成、男女教職員の構成比、教科別教員構成の適正化等を期するため、各学校間、特にへき地等指定学校とそれ以外の学校間の人事交流は活発に図られなければならないと考えられるところ、前記(三)(1)認定のとおり、鹿児島県においては、へき地等指定学校数が多く、これを原因として昭和四五年頃には人事交流が停滞し同一校あるいは同一地区長期勤務者が増加の一方をたどっていたため、県教委においてはこれを打破して人事交流を活発化させ長期勤務者を解消させるべく前記昭和四五年度重点を定めたこと、しかし、その後においても人事交流の停滞の打破は実現せず昭和四八年度には停滞状況がピークに達したため、県教委においては、より右停滞を打破し長期勤務者を解消させるべく、五ケ年計画を内容とする前記昭和四九年標準を定めたものであることからすれば、同標準の策定そのものはその目的において何らの違法性もないものと認められ、同標準が教職員に著しく不利益を与え、あるいは当該教職員の組合活動を抑制する等非教育的目的のために策定されたものとは認められない。また、前記(三)(2)、後記(五)(1)の認定判断のとおり、四九年標準は機械的、画一的適用を予定されたものではなく、運用上も同様であったことから、同標準の策定及びその運用が当該教職員個人ないし同教職員が勤務する学校の計画的教育活動を過度に阻害するものとは認められない。さらに、鹿教組においても、昭和四九年標準の策定前の数次にわたる交渉の結果、同標準を機械的、画一的に運用しないこと等を相互に確認のうえ同標準をもって人事異動計画の目安とすることに同意していることから、同標準が事前に教職員の意見希望を十分徴することなく、あるいはその意見希望を十分徴すべき手続を経ることなく樹立されたものとも到底認められない。

前記(三)(4)〈一〉認定のとおり、昭和五四年度人事異動についても、昭和四九年標準に基づく五ケ年計画の人事異動の最終年度として、同標準の計画に従って行われていることから、同年度の人事異動全体が教職員に著しい不利益を与え、あるいは当該教職員の組合活動を抑制する等非教育的目的のために実施されたものとは認められない。また、前記(三)(4)〈三〉で認定した各学校長による校内説明会の実施並びに身上調査書提出指示が行われたことは、同年度の人事異動計画の策定に当っても昭和四九年標準を機械的、画一的に適用しようとしたものではなく、教職員の意見希望を聴取のうえ策定されるべく努力されたことが推認されることから、同年度の人事異動全体が当該教職員個人ないし同教職員が勤務する学校の計画的教育活動を過度に阻害し、あるいは、事前に教職員の意見希望を徴すべき手続なくして樹立されたものとも認められない。

従って、昭和五四年度人事異動全体が違法性を有するものとは到底認められない。

(五)  控訴人らの主張について

(1) 請求原因1(四)(1)の主張について

前記(三)(2)認定のとおり、県教委は、鹿教組との間で、昭和四九年標準を機械的、画一的に運用しないこと、同標準に合致しない希望があったときにも具申、内申の段階で同希望を尊重することを確認し、各市町村教育委員会委員長宛の通知の中にも「具体的な人事異動に当っては、毎年度の人事異動方針に基づき学校運営上の必要、教職員の健康状況、家庭状況等を勘案して行うことになる。したがって、この標準どおり画一的に行われるものと理解してはならないものである。」旨の文言が記載してあったことから、同標準策定時においては同標準の機械的、画一的適用が予定されていなかったことが明らかである。

また、右事実並びに弁論の全趣旨(控訴人ら自身昭和四九年度及びこれに続く数年間は昭和四九年標準の機械的、画一的適用がなかったことを認めている。)によれば、各年度の人事異動においても同標準の機械的、画一的適用はなかったものと推認するのが相当である。

しからば、控訴人らの前記主張は、前提を欠き理由がないことが明らかである。

なお、昭和四九年標準が機械的、画一的に適用することを予定されず、その運用上も同様であったことは、同標準の策定及びその運用が当該教職員個人ないし同教職員が勤務する学校の計画的教育活動を過度に阻害するものでないと認められることの証左ともなるものである。

(2) 請求原因1(四)(2)の主張について

前記(三)(4)〈一〉、〈二〉認定のとおり、県教委は、例年当該年度の人事異動の重点策定前に鹿教組と交渉していたのに、昭和五四年度については、鹿教組との人事異動についての交渉を経ることなく昭和五三年一二月七日に同年度人事異動重点を策定したのであるが、それは、県教委においては昭和五三年一〇月頃から鹿教組に対して昭和五四年度人事異動の交渉を呼びかけていたところ、鹿教組が「〈1〉昭和五三年三月の人事異動の総括交渉、〈2〉管理職任用試験の廃止、〈3〉昭和四九年標準の抜本的改正」の要求に対する県教委の応答並びに昭和五三年七月二〇日の組合員に対する処分を不満とし、右〈1〉ないし〈3〉の要求項目につき県教委教育委員五名の団交を先決事項とし、その後の数次に及ぶ窓口接衝でも双方の合意がみられず、他方、県教委は昭和五四年度人事異動計画樹立の時間的制約からこれ以上の遅延は許されないとして、鹿教組と没交渉のまま前記昭和五四年度人事異動の重点を策定したものである。

しからば、鹿児島県下における数千名に及ぶ教育公務員の人事異動計画策定の作業にはかなりの長期間を要するうえ当該年度の三月下旬までにはその作業を終了しなければならないとの制約があると推測されること、鹿教組の前記各要求項目がいずれも昭和五四年度の人事異動を時間的制約により不能となる危険を冒してまで一時停止させなければならないものであることは、これを認めるに足りる証拠を欠くことから、県教委においてこれ以上の遅延は許されないとして鹿教組と協議することなく昭和五三年一二月七日に人事異動の重点を策定したこと自体をもって、県教委が例年行われてきた当該年度の人事異動の重点策定前の協議を拒否したものとみるのは相当でない。

また、前記(三)(4)〈二〉認定の昭和五四年度人事異動の重点の内容は、前記のとおり県教委と鹿教組との数次にわたる協議のうえ合法的に策定された昭和四九年標準の人事異動計画に副うものと認められることから、昭和五四年度人事異動の重点策定前の県教委と鹿教組との協議不在は、鹿教組にとってさほど不利益となるものではないと認められ、この点でも右人事異動の重点の策定が違法視さるべき根拠は見出し難い。

さらに、昭和五四年度人事異動の重点策定後の人事異動作業については、前記(三)(4)〈四〉ないし〈七〉の認定によれば、県教委は控訴人らを含む鹿教組所属の組合員の意見希望を聴取することなくその作業を継続し人事異動の発令をなすに至ったことが明らかである。

しかしながら、前記(三)(4)〈三〉、〈四〉認定のとおり、県教委においては、数次にわたって教育事務所(局)長、全市町村教育長、全校長らに対し人事異動計画を説明し、これらとの間で討議を行い、各学校では右人事異動計画の説明を受けた各学校長により校内説明会の施行、身上調査書の提出の指示及び提出期限の告知が行われたが、控訴人らを含む鹿教組所属の組合員らは県教委教育委員五名との交渉を要求する鹿教組の指示するままに各学校内人事異動説明会への出席を拒否し、身上調査書の期限内の提出を拒否するに至ったものであること、前記のとおり人事異動作業はかなりの長期間を要するうえ一定の期限までに終了しなければならないとの制約が付されたものであり、また、昭和五四年度人事異動の重点策定後においても鹿教組の前記要求が同年度の人事異動を時間的制約により不能となる危険を冒してまで一時停止させなければならないほどのものであることは、これを認めるに足りる証拠がないこと、校内説明会から身上調査書の提出期限までは一週間の期間があり、身上調査書記載のための準備期間としては充分と考えられること等を総合して考察すれば、昭和五四年度人事異動につき鹿教組所属の組合員にも充分にその意見希望を述べる機会が与えられたというべきであるから、県教委において現実に控訴人らを含む鹿教組所属の組合員の意見希望を聴取することなく人事異動作業を継続し発令するに至ったことは、その人事異動全体を違法視すべき事由とはならないと解すべきである。

なお、県教委において、提出期限経過後に控訴人らを含む鹿教組所属の組合員から提出された身上調査書の受領を拒否したことについては、右提出期限から右身上調書が提出されるまでには約一ケ月に近い期間の経過があり、その間に人事異動作業は相当程度進行していると推認されるところ、その段階で鹿教組所属の組合員につき新たに提出された身上調査書記載の個別事情を配慮することは、人事異動作業の最初からのやり直しを要するほどの大作業となり、時間的制約上も許容されるべきことではないことが容易に推測されることから、右身上調査書の受領拒否は教職員の意見希望の聴取拒否とはならず、人事異動全体の違法性を招来するものとは到底認められない。

他に、昭和四九年標準及びこれに基づく昭和五四年度人事異動が控訴人ら主張のごとき県教委による団体交渉拒否により策定されたことを認めるに足りる証拠はなく、控訴人らの請求原因1(四)(2)の主張は理由がない。

(3) 請求原因1(四)(3)の主張について

先ず、控訴人らの、教職員の意思に反する転任処分は許されないとの主張が理由がないことは、前記二1(一)の説示に照らして明らかであり、転任処分は当該教員の意見希望を十分に徴したうえでこれをなすべきであることは控訴人ら主張のとおりであるが、昭和四九年標準及びこれに基づく昭和五四年度人事異動が教職員の意見希望を十分徴することなく、あるいはその意見希望を十分徴すべき手続を経ることもなく行われたものではないことも前記(五)(2)で判断したところである。

他に、昭和五四年度人事異動が控訴人ら主張の教員の身分保障原則に違反することを認めるに足りる証拠はなく、控訴人らの請求原因1(四)(3)の主張は理由がない。

(4) 請求原因1(四)(4)の主張について

控訴人ら主張のように、地教委が県教委の強い指示に従い昭和四九年標準及び昭和五四年度人事異動の重点に盲従した全く形式的な内申を行ったことについては、これを認めるに足りる証拠はないばかりでなく、むしろ、昭和四九年標準及びこれを継承した昭和五四年度人事異動の重点は、機械的、画一的に適用されることが予定されたものではなく、教職員の意見希望を十分に参酌して転任人事がなされることが予定され、また、そのように運用されていたことは、これまでに判断してきたとおりであり、このことから地教委の内申あるいは各学校長の具申も右標準及び重点に従って形式的に行われるものではなく、教職員の意見希望を十分汲んで行われていたことが推認されるのであって、控訴人らの請求原因1(四)(4)の主張が理由がないことは明らかである。

2  本件転任処分の違法性について

(一)  前記1(三)(4)〈三〉ないし〈六〉認定の各事実並びに前記1(四)の説示を総合すれば、本件転任処分についても、その目的において何らの違法性もなく、同処分が、控訴人らに著しい不利益を与え、あるいは控訴人らの組合活動を抑制する等非教育的目的のために行われたものであるとか、事前に控訴人らの意見希望を十分に徴すべき手続を経ることなく行われたものであるとは到底認められず、また、控訴人らがそれぞれ教育活動阻害として主張するところは、いずれも通常の転任処分に伴って大かれ少なかれその発生が予想される事態と認められるのであって、これをもって本件転任処分が控訴人ら個人ないし控訴人らが勤務する各学校の計画的教育活動を過度に阻害するものとみるのは相当でなく、他にこれを認めるに足りる主張及び証拠はない。

従って、本件転任処分が違法性を有するものとは到底認められない。

(二)  控訴人らの主張について

(1) 請求原因2(一)(1)の主張について

〈一〉 転任処分が教育公務員の意に反して行われても、そのこと自体から転任処分が違法となるものではないが、転任処分は当該教育公務員の意見希望を十分に徴したうえでなすべきものであることは、これまでに説示してきたところであり、二・二七合意にある「人事異動は、……本人の希望を尊重して相互理解と信頼の上に立って行うように努める。人事に関する組合との話合いは、……誠意をもって意見を交換し、相互理解に達するよう努める。……人事の方針、基準などについては、事前に充分、組合との交渉を重ね、可能な限り、意見の一致及び相互理解を深めることに努めるものとする。」の文言も、県教委においては、鹿教組及び教員の意見希望を十分に徴したうえで転任処分を行うべきであるとの趣旨に解すべきである。

その意味では、控訴人らの「納得と了解による人事」の主張は、それなりに理由があるところである。

〈二〉 しかしながら、本件においては、前記のとおり、昭和四九年標準及び昭和五四年度重点は機械的、画一的に適用されることを予定されたものではなく、また、そのように運用されたものでもなく(前記1(五)(1))、昭和五四年度人事異動においても、県教委においては、鹿教組及び教員の意見希望を十分に徴すべく努力したが、鹿教組の協力を得られず、鹿教組の交渉拒否、組合員への各学校内人事異動説明会への出席拒否及び身上調査書の提出拒否の指示により、控訴人らを含む鹿教組所属の組合員の意見希望の聴取が果せなかったが、そのことによって同年度の人事異動が違法となるものでない(前記1(五)(2)参照。前記1(三)(4)〈五〉によれば、控訴人松崎、同前浜を除くその余の控訴人らについては、身上調査書提出期間後においても各学校長が意見や希望を尋ねるべく努力しているが、同控訴人らにおいてこれに応じないか、形式的、抽象的に答えただけであることが明らかであり、この点からも県教委の右控訴人らに対する意見希望の聴取の努力は正当であったと認められる。)ことから、本件転任処分が「納得と了解による人事」に反するとの控訴人らの主張が理由がないことが明らかである。

なお、本件において、仮に、控訴人らが身上調査書提出期限内に各身上調査書を提出していたとしても、その記載内容は、現に右期限経過後県教委に郵送し返送された身上調査書(〈証拠略〉)、なお控訴人秋岡については見当らないのでこれを除く)の記載と同一であったと推認すべきところ、右各号証によれば、右各身上調査書に記載されたことは、控訴人下山につき「信頼関係樹立なし。身上任せられない。留任する。」、同渡辺につき「障害児教育についてさらに勉強したい。」、同東本につき「水泳指導等本校での教育活動を続けたい。」、同山之内につき「かぜをひきやすく、疲れると腰が痛い。」、同村田につき「時々血圧が高くなる程度。腰痛(ギックリ)が出る時がある。地域に根ざした教育実践をしたい。」、同前浜につき「片眼失明、病院にときどき通院。両親が老令(父七七才、母七四才)、ときどき帰って面どうをみている。同和教育推進委員としてまだやるべき課題が山積している。支部会計委員。等」、同有川につき「健康。本校での研究をもっと深めたい。生活上最適地である。」旨だけであり、同平山、同松崎、同中窪については全く記載されていないことが認められる。しからば、右身上調査書に記載がない控訴人らはもとより、記載がある控訴人らについても記載された事柄はいずれも教育公務員としての地位に無関係の事柄か、あるいは具体性に欠け転任人事において考慮すべき事柄とも到底認められないことから、本件転任処分が控訴人らの意見希望を聴取することなく行われたことは、異動の結果にさほどの影響を与えたか否かも疑問であり、このことは本件転任処分の合法性を推測させるものでもある。

(2) 請求原因三2(一)(2)の主張について

昭和四九年標準及び昭和五四年度人事異動の重点が機械的、画一的に適用されることを予定されたものではなく、またそのように運用されなかったこと、各学校長の意見具申及び地教委の内申が昭和四九年標準及び昭和五四年度人事異動の重点に副って形式的に行われただけのものではなかったこと、昭和五四年度の人事異動が控訴人ら主張のごとき団交拒否のうえで行われたものではないこと、同人事異動が二・二七合意に反するものとはいえないことについては、これまで説示してきたところであるから、控訴人らの右請求原因三2(一)(2)の主張は理由がない。

(3) 請求原因三2(一)(3)の主張について

昭和四九年標準及び昭和五四年度人事異動の重点が機械的、画一的に適用されることを予定されたものではなく、また、そのように運用されなかったことは前記のとおりであり、しからば、各年度の人事異動において教育上の配慮、教職員間の公平、教職員の意見希望を十分に配慮することは可能なことであるから、控訴人らの請求原因三2(一)(3)の主張は理由がない。

(4) 請求原因三2(一)(4)の主張について

昭和五四年度人事異動が控訴人ら主張の団結権侵害を企図してなされたものであることは、これを認めるに足りる証拠がないだけでなく、これまでに説示してきた昭和四九年標準及び昭和五四年度人事異動の重点が策定されてきた経緯等に鑑みれば、同人事異動が鹿教組の団結権侵害を企図してなされたものとは到底認められず、控訴人らの請求原因三2(一)(4)の主張は理由がない。

(5) 請求原因三2(二)の主張について

控訴人らが、昭和五四年度人事異動に関し、鹿教組の指示に従って各学校内説明会出席拒否、身上調査書提出拒否の行動をとったこと、控訴人松崎、同前浜を除くその余の控訴人らについては身上調査書提出期限経過後も各学校長から意見希望を尋ねられたが、同控訴人らはこれに応じないかあるいは形式的、抽象的に答えただけであることは前記1(三)(4)〈五〉のとおりであり、しからば、県教委としては控訴人らの意見希望を十分に知り得なかったわけであるから、県教委において控訴人らの意見希望に副った転任人事を行うことは不能といわなければならない。かかる場合に、転任処分後に判明した控訴人らの意見希望が仮に転任人事の際参酌すべきことであったとしても(もっとも当裁判所も請求原因三2(二)(2)に主張される控訴人らの個々の事情も、確かに控訴人ら各自の私生活や前任校での教育実践に影響を及ぼすものであることはそのとおりと思うけれども、しかしなお前記1(一)説示の判断基準に照らし、そのことによって個々又は全体としても、本件処分を違法ならしめるものではないと判断するものではあるが)、これにより遡及的に本件処分そのものが違法となるものではなく、ただ、次期異動期に参酌すべき事柄となるにすぎないと解すべきである。

従って、控訴人らの請求原因三2(二)の主張は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。

四  そうすると、その余の点につき判断するまでもなく、本件転任処分は違法であるとの控訴人らの主張は、いずれも理由がなく、控訴人らの本訴各請求はいずれも棄却されるべきである。

よって、右と結論を同じくする原判決は正当であって、本件各控訴はいずれも理由がないのでこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 潮久郎 裁判官 吉村俊一 裁判官 栗田健一)

(別紙一)…略

(別紙二) 鹿児島県公立小・中学校職員長期人事異動の標準

(一) 異動の原則

(1) 在任期間中に、三以上の地区を経験することとし、その間にへき地等の経験をもつものとする。

勤務地区分は次の一三地区とする。

鹿児島市 鹿児島郡 指宿 川辺 日置 北薩 出水 伊佐 姶良 曽於 肝属 熊毛 大島

(2) 同一校の標準勤務年数は六年とする。

(3) 学校運営上の特別の必要から、前記によりがたいものにしても、一〇年を越えないものとする。

(4) 同一市町村における継続した勤務年数は最高一二年(新規採用教員の初任校勤務年数を除く。)とする。

(5) 管理職の同一校における標準勤務年数は三年以上とする。

(二) 経過措置

前記の原則に近づけるため、当面、次の年次計画によってすすめるものとする。

(1) 昭和五〇年三月三一日現在において、四八歳以上の者の勤務地区の経験については、できる限り三以上の地区にわたることとし、実情により勘案する。

(2) 長期勤務者の解消を、次のとおり、年次計画により行う。

〈省略〉

(三) 新規採用教員の配置

(1) 新規採用教員は、研修の便を考慮して、小学校六学級以上、中学校三学級以上の学校に配置する。

(2) 初任校での標準勤務年数は三年とする。

(四) へき地等勤務についての特例

(1) へき地特五級地、五級地、四級地における実勤務年数は、三年以上とし、へき地等勤務年数の算定にあたっては、一年を一と三分の二年として取扱う。

(2) へき地三級地、二級地のうち指定する学校における実勤務年数は四年以上とし、へき地等勤務年数の算定にあたっては、一年を一と四分の一年として取扱う。

(3) その他のへき地等における実勤務年数は五年以上とする。

(4) 昭和四九年度までのへき地等計画交流により、へき地等に勤務する者の取扱いについては、従前の例による。

(別表1)

〈省略〉

(別表2)

〈省略〉

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